covered by チョンジ『 youth 』 個人的考察

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スペースでいただいた質問に対する答えなど,備忘録として解釈部分とチョンジに関係する部分を文字起こししました。一部を加筆・修正しています。

基本的には楽曲そのものに対する考察です。

 

 

和訳(by そむ)

もし僕たちが走り去ったら?

もし僕たちが今日を捨てたら?

もし僕たちが安寧と騒めきに別れを告げたら?*1

もし僕たちが見つけ出せなくなったら?

もし僕たちが狂ってしまったら?

もし僕たちが全てを放り出して二度と見つからなくなったら?

 

星の光がフラッシュみたいに点滅して星たちが爆発したとき,僕たちは無敵になるんだ

 

僕の青春は君のものだ

空を旅する 滝をひとくち飲む

僕の青春は君のものだ

いま走り出す そして永遠に走り続ける

僕の青春は君のものだ

大きくて無視できないひとつの真実

僕の青春はきみのものだ

 

もし僕たちがドライブを始めたら?

もし僕たちが目を瞑ったら?

もし僕たちがスピード違反で赤信号を無視したら?

 

僕たちには歳を重ねる時間はないから

死を免れない身体 永遠の魂

祈りを捧げて,さあ行こう

 

考察

1番

もし僕たちが走り去ったら?

もし僕たちが今日を捨てたら?

「僕たち」ふたりでなら現実を手放してもいいと思っている。

 

もし僕たちが安寧と騒めきに別れを告げたら?

安寧=やりすごすことで得る平和

騒めき=社会に蔓延るノイズ

今の社会はみんなと一緒であることが好ましいとされ,みんなと違うことが生きづらさに繋がる。みんなに自我があるはずなのに同調圧力で抑圧しあっている

自我境界線(他者と自分は違う個体であるという感覚)がどろどろに溶け合った世界が今の社会だと感じる。

そこでは少しでも人と違うことをすると水面が荒立ってしまい,少しでも波風を立てると浮いてしまう。

「自分らしく」生きていると自我境界線が曖昧な他者からの過干渉や,古典的な社会規範がうるさい。

安寧を手に入れれば自我を捨てなくてはならず,自我を取ればノイズに苦しまされる。

 

「僕たち」が「もしも」として語るのは社会的な安定,安寧がなくてもノイズが聞こえてこない場所。

全てからの解放=社会・コミュニティからの断絶。ふたりの世界。

ふたりでなら現実にコミットすることをやめてもいい,やめても世界が成り立つほどの存在である。

 

もし僕たちが狂ってしまったら?

mindは記憶とも訳すことができ「記憶を失ったら?」ともとれる。

たとえ正気を失っても,記憶を失っても変わらないふたりの現れ。

 

もし僕たちが見つけ出せなくなったら?

もし僕たちが全てを放り出して二度と見つからなくなったら?

間をあけて2回findという単語を使っている。

人の存在とは他者との関りで成り立ち,人は他者との関係のなかでしか自分を規定できないとされているが,「僕」は「君」さえいれば自分を規定できる。

他はどうでもよく,意味があるのは「君」だけ,

「僕たち」が「その他大勢(them)」から見つからなくなっても「僕たち」はふたりで完結するため自分を規定して存在することができる。

 

星の光がフラッシュみたいに点滅して星たちが爆発したとき,僕たちは無敵になるんだ

星たち,宇宙が爆発したとき身体は「死ぬ」が「魂」は今,青春のまま全てが終わりを告げて時間が止まる。青春があった事実と青春の時だけが残る。だから無敵。

 

僕の青春は君のものだ

空を旅する 滝をひとくち飲む

僕の青春は君のものだ

いま走り出す そして永遠に走り続ける

僕の青春は君のものだ

人間に空は飛べないし,滝をひとくちだけ飲むことも難しい。

走ることはできるが,永遠に走り続けることはできない。

「君」といることは「僕」にとって不可能を可能にするほど力になる。

 

大きくて無視できないひとつの真実

僕の青春はきみのものだ

「僕」の青春が「君」のものであること。

 

2番

もし僕たちがドライブを始めたら?

もし僕たちが目を瞑ったら?

もし僕たちがスピード違反で赤信号を無視したら?

魂の世界で生きているため,死んでも関係ない。現実を手放してもいいと思っているように実存的な世界をあまり重視していない。

 

僕たちには歳を重ねる時間はないから

魂は「人生」を生きている。「僕たち」にとって生きていると感じられる時間は「青春」であり,人生は青春そのもの。魂はそこから進むこともないし,進むつもりもない。

 

死を免れない身体 永遠の魂

祈りを捧げて,さあ行こう

生きていくこと。身体が朽ち果てるまではふたりで実存的な幸せを噛みしめていこうという気持ち。「青春」が続くようにという祈り。

 

質問への回答

ロロとチソンの歌としてはどう捉えたか?

私個人としてはチョンジというフィルターをかけるとこの曲がとても難解に感じた。

まず2番を歌わなかったのは破滅的だから。

この曲はMVを見る限りセクシュアリティに関わらず恋愛の曲である。それをチソロロの友情として捉えたとき,青春ゆえの儚さや刹那的な情景が思い浮かんだ。

「今この瞬間がずっと続けばいいのに」と感じることは誰しも経験があるはず。

今この瞬間が永遠に続けばいいのにと願う気持ちから冒頭のような歌詞に繋がり「今で終わらせることで今を永遠にする」と感じた。

それぐらい素晴らしい情景が彼らの目の前に広がっている。

眩さ,儚さ,尊さを止めておきたいと思ったのではないか。

 

最初はチソンくんがひとりでカバーする予定だったことを聞いたとき,どうしてこの曲を選んだんだと思ったか?

正直言って全くわからない。

「僕の青春は君のものだ」という歌詞が気に入ったのではないかと想像している。

 

チソンくんの不思議なところは?

マロ主様「例えば私はなんでその話したんだろ?ということが多い」

ステージの上にいるときの切り替えが激しすぎること。

ステージに立つことが負担ではなく生きがいのような存在なのではないかと捉えている。

彼にとってステージに立つことがマインドコントロールの一部で,そこで切り替わるからステージの上の姿に不安定さがないのだと思う。

それにしても表情とかがあまりに違いすぎる。

ダンスは本人の表現力や情緒が影響すると思うので,チソンくんの情緒からは想像もできない激しいダンスをするから不思議に思う。

エピソードトークに関してはチソンくんが教えてくれるエピソードはチソンくんのなかで「良い思い出」,「お気に入り」であったり「記録しておきたい」のではないかと思っている。言葉にすることで存在を証明しておきたいのではないか。

 

チソンくんの好きなところは?

全部。

強いて言えば喋り方が穏やかで誰かを傷つけないことろ。

思慮深くていろんな面でのリテラシーが高い。

本人がビビりな分,誰かを優しさで包み込むことができる感性の持ち主。

 

 

 

*1:

トロイ・シヴァンはゲイであり,マイノリティにあたる。

これを念頭に置いて聞いたとき「safe and sound」は「マジョリティに紛れてやり過ごしている場所」と聞こえた。

マイノリティとマジョリティはスペクトラムの上にあり,本来分断された存在ではない。

個性のグラデーションの一直線上の上で真ん中の平均値にくるのがマジョリティである。

マイノリティは真ん中から多かれ少なかれズレている人を指す。

マジョリティの方が多いため,マジョリティの感覚が社会では先行する。

いくら綺麗事を言ってもマジョリティの感覚が社会を動かしている。

そのためマイノリティがありのままで生きていると摩擦が生じる。

マイノリティは多くのノイズの中で生きている。

トロイが生きている世界を表す言葉として「安寧と騒めき」が適切だと感じた。