22歳、おめでとう。
お誕生日おめでとう、私の一番星。
1秒たりともチソンくんを好きになったことを後悔したことはない。毎日チソンくんを好きになったことが幸福だと噛み締めている。
それは彼の頑張りや思慮深さがあってこそだと思う。チソンくんがアイドルとして、人間として、心から尊敬できる姿を見せてくれるから私はこの先もずっとチソンくんが好きだと確信できる。
「僕の人生の一部になってくれてありがとう」と言ってくれたチソンくん。
チソンくんの人生の中に私たちの居場所をくれてありがとう。人生の一部をくれてありがとう。いつも世界で一番幸せなオタクにしてくれてありがとう。
この世のきらきらしたものぜんぶを集めてもきみには及ばない。
チソンくんの求める全てを私が保証してあげられないことがとても悲しい。でも、本当はきみが望む全てでもきみには足りないと思う。去年も同じようなことを言った気がするけど、チソンくんにはもっと欲張りになってほしい。
その大きな手にも持ちきれないくらい、なにもかもがきみの手のなかにあってほしい。
私が神様になってチソンくんの行く道を阻むものは小石ひとつでも取り払ってあげたい。そう思っても叶えることはできないからせめて願わせてほしい。
辛いことも苦しいことも乗り越えた先に幸せがありますように。
困難の中にある時も安らぎがありますように。
チソンくんがチソンくんであるが故に苦しむことがありませんように。
小さな幸せを見つけるのがじょうずなあなたに、たくさんの大きな幸せが降り注ぎますように。
全てがチソンくんの心地良い方向に流れていきますように。
チソンくんが世界で一番幸せでありますように。
アイドル 박지성 を初めて生で目にした日
NCT DREAM TOUR ‘THE DREAM SHOW2 : In A DREAM’ - in JAPAN
横浜アリーナ 2022.11.26
私が推しであるチソンくんを初めて生で目にした日だ。
どうしても忘れたくなくて見返せるよう記録に残すことにした。
遡ること3年前,ドリムの最後かもしれないというドリショが当たらず追加公演でやっとチケットを手に入れたものの新型コロナの流行で中止になり泣き崩れた記憶が強烈に残っていた。
今回チケットが当たった後も最悪の想像が頭を離れず,入場するまで「ドリショを観れる」という実感がわかないほどに私にとってドリショは手が届かない存在だった。
この日は神様が導いてくれたと思っている。
長年うまく付き合ってきた持病が悪化しどん底にいた私はこのドリショをきっかけに奇跡的と言ってもいいほどの回復を見せた。
「絶対に行きたい」
外出も付き添いが必要な状況で,ほぼ寝たきりだった私にとって無謀な望みだった。
それでもどうしても行きたくて,チソンくんに会いたくて,涙があふれてきたことを覚えている。
開催発表の翌日から私は見違えるように回復するための努力を始めた。
病気がつらくてそんな気力はどこにもないと思っていたのに,チソンくんに,ドリムに会えると思ったら頑張ることができた。
地獄のような当選率だったにも関わらずFC先行で2日分当てることができたとき,神様が私の回復を応援してくれているとさえ思った。
そんなふうにして迎えた当日はずっと夢を見ているようだった。
普段なら外出も一苦労のはずが,ほとんど症状が出なかったのである。
ドリムシートが当たった時,本当に神様が味方してくれていると感じた。
座席に座り草鈍器の光に囲まれた瞬間とてつもない幸福感に包まれた。
いくつもペンライトを使う現場には入ってきたが,ペンライトの光に包まれて幸せだと感じたのは初めてのことだった。
3年前思い描いた景色のなかにいた。それ以上に幸せな現場にいた。
肉眼でチソンくんを捉えるたびに,双眼鏡をのぞき込むたびに「同じ空間にチソンくんがいる」実感がわいて,不思議でたまらなかった。
大好きなチソンくんの踊っている姿,笑う顔,なにもかも夢にまで見たものだった。
チソンくんを見ているうちに,初めてステージに立つ人に憧れたときのことを思い出した。舞台照明という特別な人だけを照らす強烈な光に包まれる姿の尊さを心の底から感じたときのことだ。
久しぶりに原点に帰ったような気持ちになった。
思えば私の人生はいつもステージの上で輝く誰かに支えられ,救われてきたのだ。
チソンくんに出会えたことがなによりの幸福だと改めて強く思った。
彼を初めて生で目にした日が,彼が愛してやまないチルドリとしてのステージだったことが本当にうれしい。この日をはじまりの日にできて本当によかった。
もう未来に怯えなくてもいい,最後じゃない,次も,そのまた次も,期待していい,約束された現在がどれほど幸せなことか。絶対に忘れない。
あの日,もうドリムとしてのチソンくんを見ることはできないのだと覚悟した。
どうしてもっとはやく出会えなかったのかとたくさん後悔した。
コロナのこともたくさん呪った。
そんな日々のすべてが報われた気持ちだった。
チソンくんが大好きなことであるダンスを大好きなヒョンたちと踊る姿を目に焼き付けているうちに,なにもかもが蘇ってきて涙が止まらなくなった。
マークは「僕たちを待っててくれてありがとうございます」と言うけれど,私は「帰ってきてくれて,ドリムを守ってくれてありがとう」と伝えたい。
終演後,数年ぶりに会った事情を知る友人は出会うなり抱きしめて「えらかったね,頑張ったね」と言って頭を撫でてくれた。
(彼女は神席を引き当てていた。本当に良い子なので徳の高さだと思う。)
連番してくださったみそさんはずっと楽しくお話してくれて,たくさん気を使ってくださって,久しぶりに「幸せ」な時間を頂いた。(本当にありがとうございました。)
ソンムルを準備している段階からなにもかもが楽しくて,幸せで,生きている感じがした。
不安をいっぱい抱えたまま当日まで過ごした分,幸せで尊い思い出として記憶に残すことができて安心している。
これからもたくさんチソンくんに会えることを願って,眠りについた。
covered by チョンジ『 youth 』 個人的考察
スペースでいただいた質問に対する答えなど,備忘録として解釈部分とチョンジに関係する部分を文字起こししました。一部を加筆・修正しています。
基本的には楽曲そのものに対する考察です。
和訳(by そむ)
もし僕たちが走り去ったら?
もし僕たちが今日を捨てたら?
もし僕たちが安寧と騒めきに別れを告げたら?*1
もし僕たちが見つけ出せなくなったら?
もし僕たちが狂ってしまったら?
もし僕たちが全てを放り出して二度と見つからなくなったら?
星の光がフラッシュみたいに点滅して星たちが爆発したとき,僕たちは無敵になるんだ
僕の青春は君のものだ
空を旅する 滝をひとくち飲む
僕の青春は君のものだ
いま走り出す そして永遠に走り続ける
僕の青春は君のものだ
大きくて無視できないひとつの真実
僕の青春はきみのものだ
もし僕たちがドライブを始めたら?
もし僕たちが目を瞑ったら?
もし僕たちがスピード違反で赤信号を無視したら?
僕たちには歳を重ねる時間はないから
死を免れない身体 永遠の魂
祈りを捧げて,さあ行こう
考察
1番
もし僕たちが走り去ったら?
もし僕たちが今日を捨てたら?
「僕たち」ふたりでなら現実を手放してもいいと思っている。
もし僕たちが安寧と騒めきに別れを告げたら?
安寧=やりすごすことで得る平和
騒めき=社会に蔓延るノイズ
今の社会はみんなと一緒であることが好ましいとされ,みんなと違うことが生きづらさに繋がる。みんなに自我があるはずなのに同調圧力で抑圧しあっている。
自我境界線(他者と自分は違う個体であるという感覚)がどろどろに溶け合った世界が今の社会だと感じる。
そこでは少しでも人と違うことをすると水面が荒立ってしまい,少しでも波風を立てると浮いてしまう。
「自分らしく」生きていると自我境界線が曖昧な他者からの過干渉や,古典的な社会規範がうるさい。
安寧を手に入れれば自我を捨てなくてはならず,自我を取ればノイズに苦しまされる。
「僕たち」が「もしも」として語るのは社会的な安定,安寧がなくてもノイズが聞こえてこない場所。
全てからの解放=社会・コミュニティからの断絶。ふたりの世界。
ふたりでなら現実にコミットすることをやめてもいい,やめても世界が成り立つほどの存在である。
もし僕たちが狂ってしまったら?
mindは記憶とも訳すことができ「記憶を失ったら?」ともとれる。
たとえ正気を失っても,記憶を失っても変わらないふたりの現れ。
もし僕たちが見つけ出せなくなったら?
もし僕たちが全てを放り出して二度と見つからなくなったら?
間をあけて2回findという単語を使っている。
人の存在とは他者との関りで成り立ち,人は他者との関係のなかでしか自分を規定できないとされているが,「僕」は「君」さえいれば自分を規定できる。
他はどうでもよく,意味があるのは「君」だけ,
「僕たち」が「その他大勢(them)」から見つからなくなっても「僕たち」はふたりで完結するため自分を規定して存在することができる。
星の光がフラッシュみたいに点滅して星たちが爆発したとき,僕たちは無敵になるんだ
星たち,宇宙が爆発したとき身体は「死ぬ」が「魂」は今,青春のまま全てが終わりを告げて時間が止まる。青春があった事実と青春の時だけが残る。だから無敵。
僕の青春は君のものだ
空を旅する 滝をひとくち飲む
僕の青春は君のものだ
いま走り出す そして永遠に走り続ける
僕の青春は君のものだ
人間に空は飛べないし,滝をひとくちだけ飲むことも難しい。
走ることはできるが,永遠に走り続けることはできない。
「君」といることは「僕」にとって不可能を可能にするほど力になる。
大きくて無視できないひとつの真実
僕の青春はきみのものだ
「僕」の青春が「君」のものであること。
2番
もし僕たちがドライブを始めたら?
もし僕たちが目を瞑ったら?
もし僕たちがスピード違反で赤信号を無視したら?
魂の世界で生きているため,死んでも関係ない。現実を手放してもいいと思っているように実存的な世界をあまり重視していない。
僕たちには歳を重ねる時間はないから
魂は「人生」を生きている。「僕たち」にとって生きていると感じられる時間は「青春」であり,人生は青春そのもの。魂はそこから進むこともないし,進むつもりもない。
死を免れない身体 永遠の魂
祈りを捧げて,さあ行こう
生きていくこと。身体が朽ち果てるまではふたりで実存的な幸せを噛みしめていこうという気持ち。「青春」が続くようにという祈り。
質問への回答
ロロとチソンの歌としてはどう捉えたか?
私個人としてはチョンジというフィルターをかけるとこの曲がとても難解に感じた。
まず2番を歌わなかったのは破滅的だから。
この曲はMVを見る限りセクシュアリティに関わらず恋愛の曲である。それをチソロロの友情として捉えたとき,青春ゆえの儚さや刹那的な情景が思い浮かんだ。
「今この瞬間がずっと続けばいいのに」と感じることは誰しも経験があるはず。
今この瞬間が永遠に続けばいいのにと願う気持ちから冒頭のような歌詞に繋がり「今で終わらせることで今を永遠にする」と感じた。
それぐらい素晴らしい情景が彼らの目の前に広がっている。
眩さ,儚さ,尊さを止めておきたいと思ったのではないか。
最初はチソンくんがひとりでカバーする予定だったことを聞いたとき,どうしてこの曲を選んだんだと思ったか?
正直言って全くわからない。
「僕の青春は君のものだ」という歌詞が気に入ったのではないかと想像している。
チソンくんの不思議なところは?
マロ主様「例えば私はなんでその話したんだろ?ということが多い」
ステージの上にいるときの切り替えが激しすぎること。
ステージに立つことが負担ではなく生きがいのような存在なのではないかと捉えている。
彼にとってステージに立つことがマインドコントロールの一部で,そこで切り替わるからステージの上の姿に不安定さがないのだと思う。
それにしても表情とかがあまりに違いすぎる。
ダンスは本人の表現力や情緒が影響すると思うので,チソンくんの情緒からは想像もできない激しいダンスをするから不思議に思う。
エピソードトークに関してはチソンくんが教えてくれるエピソードはチソンくんのなかで「良い思い出」,「お気に入り」であったり「記録しておきたい」のではないかと思っている。言葉にすることで存在を証明しておきたいのではないか。
チソンくんの好きなところは?
全部。
強いて言えば喋り方が穏やかで誰かを傷つけないことろ。
思慮深くていろんな面でのリテラシーが高い。
本人がビビりな分,誰かを優しさで包み込むことができる感性の持ち主。
*1:
トロイ・シヴァンはゲイであり,マイノリティにあたる。
これを念頭に置いて聞いたとき「safe and sound」は「マジョリティに紛れてやり過ごしている場所」と聞こえた。
マイノリティとマジョリティはスペクトラムの上にあり,本来分断された存在ではない。
個性のグラデーションの一直線上の上で真ん中の平均値にくるのがマジョリティである。
マイノリティは真ん中から多かれ少なかれズレている人を指す。
マジョリティの方が多いため,マジョリティの感覚が社会では先行する。
いくら綺麗事を言ってもマジョリティの感覚が社会を動かしている。
そのためマイノリティがありのままで生きていると摩擦が生じる。
マイノリティは多くのノイズの中で生きている。
トロイが生きている世界を表す言葉として「安寧と騒めき」が適切だと感じた。